葬儀とは何か?由来を交えながら解説
葬儀とは、故人を弔い、遺族や関係者が別れの気持ちを整理し、次の生活へと進むための大切な儀式です。現代では「お葬式」とほぼ同義で使われることもありますが、厳密には宗教的な儀礼である「葬儀式」と、社会的な別れの場である「告別式」は異なる意味を持っています。

現代の日本では「形式」や「費用」が注目されがちですが、葬儀の本質は、死者を悼むという人間の普遍的な感情と、社会や文化とを結ぶ儀礼にあります。
この記事では、、日本における葬儀の歴史的変遷をたどりながら「葬儀とは何か」「なぜ必要とされているのか」「葬儀の歴史や流れ」「現代における意義」まで、初めての方にもわかりやすく整理して解説します。
人類はなぜ葬儀を始めたのか?葬儀の由来
葬儀は、人間が本能的に抱く「死者を悼む心」を、社会的なかたちで表現するために生まれました。
人は大切な人の死に直面すると、自然に悲しみや敬意といった感情を抱きます。葬儀は、それらの感情を儀式という形式にして、他者と共有する行為です。言葉や制度が未発達な時代であっても、人は死を単なる終わりではなく、意味のある出来事として受け止めてきました。
その証拠として、約6万年前のネアンデルタール人の遺跡からは、遺体を丁寧に埋葬し、花を手向けた痕跡が見つかっています。これは、死者への祈りや敬意を示す行動であり、葬儀が精神的・文化的な営みとして古くから存在していたことを示しています。
つまり葬儀は、人類の文化や社会性の原点といえる、死を受け止めるための最も根源的な儀式なのです。
日本における葬儀の歴史をたどる

日本の葬儀は、時代の変化や宗教の影響を受けながら、その形を大きく変えてきました。
死をどう捉え、どう弔うかという意識は、社会構造や信仰と深く関わっており、葬儀の在り方もそれに応じて進化してきたのです。
たとえば、縄文時代には屈葬という独特の埋葬方法が行われ、弥生時代には伸展葬へと変化しました。さらに古墳時代には権力を示す巨大な墓が築かれ、仏教の伝来以降は火葬や納骨といった儀式が普及していきます。明治・大正期になると、葬儀は制度化され、現代に通じる形式が整っていきました。
縄文時代から大正時代までの代表的な葬儀の形と、その背後にある宗教観や社会背景をたどりながら、日本人にとって葬儀がどのような意味を持ってきたのかを紐解いていきます。
縄文時代|身体を折り曲げて埋葬する「屈葬」の文化
縄文時代の葬送には、体を折り曲げて埋葬する「屈葬」という独特の方法が用いられていました。
この姿勢は、死者が安らかに眠れるようにという祈りや、再生や来世への転生を意味する象徴的な形と考えられています。日本以外ではあまり見られない形式であり、当時の人々の精神文化を映し出すものです。
一方で、屈葬には狭い墓穴に納めやすいという実用的な側面もありました。しかし、死後の世界や魂の存在を信じる気持ちが背景にあったことは確かで、屈葬は単なる埋葬技術ではなく、死者への敬意や畏れといった感情を反映した文化的行為だったと考えられています。
つまり屈葬は、縄文人が死をどのように捉え、どう向き合っていたかを示す、象徴的な葬送のかたちだったのです。
弥生時代|まっすぐに埋葬する「伸展葬」への変化
弥生時代になると、葬送の主流は体をまっすぐに伸ばして埋葬する「伸展葬」へと変化しました。
これは、死者を自然な姿勢で穏やかに送り出そうとする意識のあらわれと考えられています。死を畏れる対象から、敬い送り出す存在へと意識が変化していったことがうかがえます。
この背景には、稲作を中心とした農耕社会への移行がありました。安定した生活基盤を得たことで、人々の死生観や社会秩序に対する考え方も成熟し、埋葬の形式にもその変化が反映されたのです。
墓の形や埋葬の様式も次第に整えられ、葬儀はより儀礼的で安定した文化として発展していきました。
古墳時代|巨大な墓と階層社会の象徴
古墳時代の葬儀は、巨大な墳墓によって支配者の権威を象徴するものへと変化しました。
王や有力者のために築かれた前方後円墳などの古墳は、単なる弔いの場ではなく、政治的な力や社会的地位を可視化する装置でもありました。葬儀そのものが階層社会を反映し、身分によって大きく異なる形式がとられていたと考えられます。
しかし、こうした過剰な埋葬儀礼に対し、646年に「薄葬令」が出され、古墳の規模や築造にかける労力が制限されるようになります。これにより、大型古墳の築造は徐々に縮小し、国家が葬送の形式に一定の制御を加える時代へと移行しました。
古墳時代の葬儀は、死者のためというよりも、生者の力を示す場であり、やがてその過剰さが見直される転換点でもあったのです。
飛鳥時代|日本初の火葬が記録される
飛鳥時代は、日本における火葬の始まりとして重要な転機となった時代です。
仏教の伝来によって「肉体を焼いて魂を浄化する」という考え方が広まり、火葬という葬送方法が導入され始めました。これまで主流だった土葬とは異なり、火葬には精神的・宗教的な意味が込められていたのです。
記録によると、700年に僧侶・道昭が日本で初めて火葬されたとされており、その2年後には持統天皇も火葬されています。ただし、当時の火葬は特権階級に限られたものであり、一般庶民の間では依然として土葬が主流でした。
飛鳥時代は、仏教の思想が葬儀文化に影響を与え、火葬という新たな弔いの形が日本に根づくきっかけとなった時期といえます。
平安時代|高野山に納骨する信仰と「末法」思想
平安時代には、火葬後の遺骨や遺髪を聖地に納める「納骨」の文化が広まりました。
この背景には、仏教の「末法思想」があります。末法の世では悟りを開く者が現れないとされ、人々は死後に極楽浄土で救われることを強く願うようになります。こうした信仰が、納骨という行為に霊的な意味を与えていきました。
なかでも高野山は深い信仰を集めた場所で、1085年に亡くなった性信法親王の遺骨、1108年に亡くなった堀河天皇の遺髪が納められたという記録が残っています。高野山に納骨することは、死者の極楽往生を願うと同時に、生きる者にとっての心の安心にもつながる儀式とされていました。
平安時代の葬送文化は、仏教思想と結びつきながら、死者と生者の両方にとって意味を持つものへと深まっていったのです。
鎌倉時代|仏教の普及で庶民にも葬儀が広がる
鎌倉時代には、仏教の広まりによって葬儀が庶民の間にも根づいていきました。
浄土宗や浄土真宗といった新しい仏教が台頭し「阿弥陀仏の力によって極楽浄土へ往生できる」という浄土信仰が広く受け入れられました。この思想により、庶民の葬儀にも宗教的な意味が強く付与されるようになります。
同時に、火葬の利用も次第に拡大しましたが、当時の技術では完全な焼却は難しく、火葬と土葬を併用する「両墓制」が長く続きました。地域によって墓の形式や供養の方法に違いが見られるようになったのもこの時代の特徴です。
こうした背景のもとで、鎌倉時代の葬儀は信仰と生活が密接に結びつき、庶民による葬送文化の原型が形成されていったといえます。
室町時代|五輪塔と寺院墓地の始まり
室町時代には、寺院が墓地を管理する仕組みが確立し、現代の寺院墓地の原型が形づくられました。
背景には「寺の近くに墓を建て、継続的に供養を受けたい」という人々の願いがあり、葬送がより宗教的儀礼と結びついていきました。
この時代には火葬と土葬が併用されており、墓石には仏教の五大思想を表す「五輪塔」が使われるようになります。五輪塔は、死者が仏の教えによって浄土に導かれることを象徴するものであり、埋葬と信仰が一体化した表れです。
室町時代の葬儀は、仏教に基づく儀礼を重んじ、死者の救済と生者の安心を両立させる文化として成熟していきました。
江戸時代|土葬中心と「野辺送り」の習俗
江戸時代の葬送は、火葬から土葬が主流へと移行し、共同体的な弔いの文化が深まりました。
火葬に伴う煙や臭いへの配慮、そして輪廻転生を重視する仏教思想が影響し、遺体を自然のまま土へ還す土葬が選ばれるようになります。
代表的な埋葬形式は「土饅頭(どまんじゅう)」と呼ばれ、棺を土中に納め、その上に丸く土を盛るものでした。墓石や塔婆も普及し、家制度の確立とともに先祖供養の文化が根づいたのもこの時代の特徴です。
また「野辺送り」という儀式が一般化し、親族や近隣住民が列をなし、故人を墓地や火葬場まで送る習慣が定着しました。これは、死者の穢れを地域に残さないという宗教観と、共同体全体で死を受け入れるという社会的な意味を持っていたと考えられます。
江戸時代の葬儀は、儀礼としての整備だけでなく、地域社会と密接に結びついた葬送文化として成熟していきました。
明治時代|告別式の誕生と火葬の制度化
明治時代は、日本の葬儀が宗教的儀礼から社会的制度へと転換する、大きな節目の時代でした。
明治政府は宗教政策の一環として、明治3年に寺院墓地を国有地とし、明治5年には一般人による自由な葬儀(自葬祭)を禁止。葬儀は僧侶や神職が司るものと定め、国家がその形式を管理する方向に進みました。
また、当初は仏教勢力を抑えるため神道を推奨し、一時的に火葬禁止令も出されましたが、都市部の衛生問題や土地不足の現実から、わずか2年で撤回されました。結果として火葬は定着し、近代的な葬送手段として制度化されていきます。
服装にも変化が見られ、この頃から喪服は白から黒へと変わり、儀礼全体にも西洋文化の影響が及び始めます。そして1901年には、学者・中江兆民の死去に際して弟子や友人たちが開いた場が「告別式」の起源とされ、宗教的な儀式とは別に、社会的な別れを告げる場が登場します。
明治時代の葬儀は、宗教的な旅立ちと社会的なお別れという二重構造を持つ現代葬儀の原型を形成していきました。
大正時代|霊柩車の普及と現代葬儀の原型の形成
大正時代は、現代の葬儀の基本構成がほぼ完成した時代です。
近代化が進むなかで、葬送の方法も変化し、従来の人力車に代わって霊柩車が使われるようになりました。これにより、都市部を中心に効率的で儀礼的な葬儀が定着していきます。
また、告別式が庶民の間にも広まり、葬儀はより形式化・儀式化されたものへと進化しました。新聞や印刷物によって訃報が広く伝えられるようになったことも、葬儀を社会的なイベントとして可視化させる要因となりました。
変化の積み重ねにより「通夜」「葬儀・告別式」「火葬」という現代に続く葬儀の基本的な流れが、この時代にほぼ確立されたのです。
村八分と葬儀に見る社会的重要性
江戸時代までの葬式は、特に個人葬は特権階級のものでした。 多くの一般人は共同墓地に埋葬され、村人全員が共同墓地に花をささげていました。 ちなみに、江戸時代から昭和初期にかけて「村八分」という制裁行為が存在していましたが、そのことからも葬式が重要事項であった事が分かります。 「村八分」とは、村落で秩序を破った者への制裁行為です。 簡単にいうと、村にとって望ましくない行為をした場合に、村八分という制裁を受け8つの項目において絶交され仲間外れとされるものです。
村八分<8つの項目>
- 成人式
- 結婚式
- 出産
- 病気の世話
- 新改築の手伝い
- 水害時の世話
- 年忌法要
- 旅行における交流
一方で制裁を受けたとしても、村二分として助けてもらえる項目があります。
村二分<2つの項目>
- 消化活動(火事)、又は、田んぼの水利から外さないこと
- 死体の埋葬(葬儀)
村八分の家は8割は絶交されたが、2割は村の社会システムの中で認められていたという事です。
お葬式は2割の中に必ず入っていた事からも重要事項であることが分かります。
通夜・葬儀・告別式・火葬の違いとは?

現代の葬儀は、主に「通夜」「葬儀式」「告別式」「火葬」の4つの儀式から成り立っています。それぞれの意味や役割には違いがあり、形式だけでなく心の整理や社会的な関係にも深く関わっています。
儀式名 | 目的・意味 | 時間帯・参加者 |
---|---|---|
通夜 | 故人の死を受け止め、家族や親しい人が集う私的な儀式 | 夕方~夜/家族・親族・親しい友人など |
葬儀 | 宗教的儀式として冥福を祈る。僧侶による読経など | 翌日午前/家族・親族中心 |
告別式 | 社会的な別れの儀式。弔辞や献花なども行われる | 葬儀に続いて開催/友人・仕事関係者なども参加 |
火葬 | 遺体を焼却し、骨を収めて葬送を完了させる | 式後に火葬場へ移動/参列者は一部のみ |
通夜・葬儀・告別式・火葬はそれぞれに明確な意味があります。通夜は「私的なお別れ」、葬儀は「宗教的な儀礼」、告別式は「社会的なお別れ」、火葬は「身体を還す行為」として、日本の葬儀において役割を分担しています。
- 通夜:故人の死を受け止める夜。家族や親しい人が集まり、静かに別れを受け入れる時間
- 葬儀式:宗教的な形式に基づき、僧侶や神職によって営まれる儀式。成仏や冥福を祈る
- 告別式:仕事関係者や友人など広い関係者が参列し、社会的な別れを告げる場
- 火葬:遺体を焼却して遺骨とし、納骨に至る最終的な葬送行為
これらの流れを理解することで、葬儀が単なる形式ではなく、心の区切りと社会的儀礼の両面を持つ営みであることが見えてきます。
一般的な流れは次のようになります
通夜(前日夜) → 葬儀式(翌日午前) → 告別式 → 火葬
従来までは、ご逝去の翌日に通夜、さらにその翌日に葬儀・告別式・火葬を行う2日連続の形式が一般的でしたが、現代では事情が変わりつつあります。
近年では「通夜」と「葬儀・告別式」を1日にまとめた「一日葬」や、通夜を行わない「直葬(ちょくそう)」など、柔軟な形も増えています。
通夜とは?故人を見守る最後の夜
通夜は、故人と過ごす最後の夜として行われる大切な儀式です。もともとは家族や親しい人たちが、線香やろうそくの火を絶やさず、一晩中見守る「寝ずの番」が習わしでした。
しかし現在では、防火上の安全や式場の都合により、夜通し見守ることは少なくなり、夕方から1~2時間程度で終える「半通夜」が主流です。
近年の通夜では、18~19時頃に僧侶の読経が行われ、その後に焼香、そして「通夜振る舞い」と呼ばれる食事の時間が設けられます。故人の好物を用意したり、思い出を語り合ったりしながら、家族や親しい人々が静かに別れを惜しむ時間となります。
もとは家族中心の私的な儀式でしたが、現代では日中に参列しにくい弔問客のため、仕事帰りでも立ち寄れる夕方の時間帯に行われることが一般的になりました。
また近年では、家族葬や一日葬といったスタイルを選ぶ家庭も増えており、通夜を省略するケースも見られます。体力的・経済的な負担を抑えつつ、故人らしい見送り方を選ぶ家庭が増えている点も、現代の通夜の特徴です。
通夜と告別式の違いとは?それぞれの役割と意味を解説
通夜と告別式は、どちらも故人に別れを告げる大切な儀式ですが、それぞれの役割と意味には明確な違いがあります。
通夜は、故人が亡くなった日の夜に行われる儀式です。家族や親族、親しい友人など、身近な人々が集まり、故人の死を受け入れる時間として位置づけられています。かつては一晩中ろうそくや線香の火を絶やさず見守る「寝ずの番」が一般的でしたが、現在では、読経と焼香のあとに食事を共にして解散する「半通夜」が主流となりました。夕方から行われるため、仕事帰りなどでも参列しやすい点も特徴です。
告別式は、通夜の翌日などに行われることが多く、友人・知人・仕事関係者など、より広い範囲の人々が参列する場です。仏式では、僧侶による読経や焼香などの「葬儀式」が、通夜・告別式いずれか、または両方で執り行われることがあり、形式や内容は宗派や地域によって異なります。 告別式では、弔辞や献花を通じて故人をしのぶとともに、社会的なつながりの中で死を悼む役割を持っています。
近年では、通夜と告別式の両方を行う形式に加え、家族葬や一日葬など、いずれかを省略するケースも増えています。それでも本質的な意味は変わりません。通夜は「近しい人々と静かに故人と向き合う私的な時間」、告別式は「社会的な関係性の中で故人を見送る公的な時間」と言えるでしょう。
いずれの儀式も、形式にとらわれすぎず、故人との別れに心を整える大切な機会です。
火葬とは?
火葬とは、故人の遺体を焼却し、遺骨として収める葬送方法で、現代の日本では99%以上の人がこの方法を選んでいます(厚生労働省「衛生行政報告例」より)。
その普及の背景には、仏教の教義や衛生面での配慮、さらには法律による制度化といった複数の要因があります。火葬は決して「遺体の処理」だけではなく、宗教的・法的・社会的に意味を持つ重要な儀式とされています。
たとえば、仏教では火によって魂を清めるという考えがあり、法制度上は自治体の許可を要する公的手続きとなっています。さらに、日本の気候や都市の状況を踏まえた合理性からも支持されています。
火葬は形式的な手段ではなく、故人を丁寧に見送るために多面的な意義を持つ、現代の日本社会に深く根付いた葬送のあり方です。
仏教と火葬|魂を浄化する宗教的な意味
火葬は、仏教の教えに基づく、魂の浄化と旅立ちを意味する宗教的儀式です。
仏教では、肉体は魂の一時的な器であり、死後は火によってその器を清めることで、魂が浄化され次の世界へと導かれると考えられています。この思想が、日本における火葬の普及を後押ししました。
記録によれば、700年に高僧・道昭が火葬されたのが最古の例とされ、その後702年には持統天皇も火葬されています。こうした例を契機に、火葬は貴族や僧侶の間に広まり、やがて民間にも受け入れられていきました。
つまり、火葬は単なる遺体の処理ではなく、魂を清めて浄土へ送り出すという、仏教の教えに根ざした深い意味を持つ儀式なのです。
法火葬の法律|公的に定められた手続き
火葬は、法律に基づいて厳格に運用される、公的に認められた葬送手続きです。
近代以降、都市化や人口の増加によって衛生環境への配慮が求められるようになり、明治政府は火葬を推奨する方針を取りました。これは、感染症の予防や土地利用の合理化といった社会的な背景を踏まえたものです。
現在では「墓地、埋葬等に関する法律(通称:墓埋法)」により、火葬・土葬ともに自治体の許可が必要とされており、無許可での埋葬は法律で禁止されています。また、死亡後24時間以内の火葬は原則として禁止されており、正式な死亡届と火葬許可証を提出したうえで手続きを進めなければなりません。
火葬は、個人の自由な選択ではなく、法制度のもとで社会的に管理された、正式かつ公的な葬送の方法として位置づけられているのです。
火葬の合理性|衛生と都市社会に適した方法
火葬は、日本の気候や都市環境に適した、衛生的かつ合理的な葬送方法です。
高温多湿な日本では、遺体の衛生管理に特別な配慮が必要とされます。その点、火葬は土葬に比べて腐敗のリスクがなく、衛生的に優れた方法として広く支持されています。
さらに、都市部では墓地用地の確保が年々難しくなっており、限られた空間で効率的に遺骨を管理できる火葬は、現代社会のニーズにも合致しています。これは公共衛生と土地利用の両面で合理的な選択といえます。
宗教的には「魂を浄化し、旅立たせる儀式」、法律的には「公的に認められた手続き」、そして衛生・社会面では「都市生活に適応した方法」として、火葬は現代日本の葬送文化に深く根づいているのです。
一般的な葬儀の日程と流れ
ご逝去から通夜、葬儀・告別式、そして火葬まで、葬儀は一般的に3日間の流れで執り行われます。この短い期間で、感情の整理と社会的な対応を両立する必要があるため、事前の理解がとても重要です。
初日は医師による死亡確認後、死亡診断書の取得と葬儀社への連絡を行います。2日目の通夜では、家族や親しい人々が故人と向き合う時間を持ち、焼香や通夜振る舞いを通じて別れを受け入れる場となります。そして3日目には、宗教者による読経や弔辞の後、火葬場へ移動して遺体を送り出します。通夜と告別式は心の整理、火葬は送り出しの区切りという役割を担います。
近年では死亡者数の増加により都市部では火葬場の混雑が常態化しています。亡くなってから通夜や葬儀までに数日あくケースも増えています。たとえば、通夜が3日後、火葬が5〜7日後になることも珍しくありません。
また、日本の法律では「死亡後24時間以内の火葬は禁止」と定められており、この規定も日程調整に影響を与える要因の一つです。
ご逝去から火葬までの一連の流れは短期間で進むため、事前に流れを理解しておくことで、心の準備と実務対応の両方に余裕が生まれます。
下記は代表的な3日間の葬儀スケジュールです。
日数 | 儀式 | 内容 |
---|---|---|
1日目 | ご逝去 | 死亡診断書の取得、葬儀社へ連絡 |
2日目 | 通夜 | 夕方からの儀式、焼香・通夜振る舞い |
3日目 | 葬儀・告別式・火葬 | 僧侶による読経、弔辞、火葬場へ移動 |
ご葬儀の日程に関する詳細を知りたい方は「葬儀の日程について詳しく解説」を参考にしてください。
ご葬儀の流れについて詳細を知りたい方は「葬儀における流れを解説」を参考にしてください。
現代における葬儀の意義とは?
現代の葬儀は形式やスタイルこそ多様化していますが、本質は今も昔も変わりません。葬儀は、故人との別れを受け止め、生きることの意味を再確認するための、かけがえのない時間です。
葬儀には、故人を悼み、心に区切りをつけるという「感情的な役割」があります。また、家族・地域・社会と関係を確かめ直す「社会的な役割」も担っています。さらに、死に直面することで、自分自身の人生と向き合う「内省のきっかけ」にもなります。
小規模葬や家族葬が増える現代だからこそ、形式にとらわれすぎず「なぜ葬儀を行うのか」という本質に立ち返ることが大切です。
葬儀を通して、故人の人生を見つめ、自分自身の生を再認識することが、現代の葬儀に求められる意義ではないでしょうか。
よくある質問
- 葬儀とは何をする儀式ですか?
- 葬儀では「通夜」「葬儀式」「告別式」「火葬」を通じて、故人との別れを告げます。宗教的な祈りと、社会的なお別れの両方を含む、心と儀式の整理を行う場です。
- 葬儀とお葬式の違いは何ですか?
- 一般にはほぼ同じ意味で使われますが「葬儀」は宗教儀式の意味が強く「お葬式」はより広く告別の場を含む言葉として使われることがあります。
- 葬儀はいつ行われますか?
- 死亡後24時間以内の火葬は法律で禁止されており、火葬場や僧侶の予定、親族の集まりやすさなどを考慮して、一般的にご逝去の2~5日後に葬儀が行われます。都市部では火葬場の混雑により、1週間後となることもあります。
- なぜ葬儀が必要なのですか?
- 故人への弔い、遺族の心の整理、社会的な別れの儀式など、精神的・社会的に重要な役割を持っているためです。 葬儀とは、故人との最終的な対話を通じて「感情の記憶を残す」ための儀式であり、遺された者にとっての納得と癒しのプロセスです。単なる宗教的・形式的な儀礼ではなく、葬儀はご遺族が「納得」「決別」「整理」を行うための心理的な通過点です。死という現実を受け止め、感情を言語化し、共有し、次の一歩を踏み出すための時間でもあります。ときに、それは故人に対する「最後の親孝行」となることもあります。「送る側」の心に残る葬儀こそが、葬送という営みにおける本質的な価値を形づくります。それは社会的儀礼にとどまらず、生者と死者の関係を見つめ直す、極めて個人的かつ普遍的な営みです。
- 最近は葬儀をしない人もいると聞きますが?
- 確かに直葬や火葬式など簡素な形式も増えていますが、どの形でも「見送りの気持ち」を大切にすることが重要です。

この記事の監修者
むすびす株式会社 代表取締役社長兼CEO 中川 貴之
大学卒業後、株式会社テイクアンドギヴ・ニーズの立ち上げに参画。2002年10月葬儀業界へ転進を図り、株式会社アーバンフューネスコーポレーション(現むすびす株式会社)を設立、代表取締役社長に就任。明海大学非常勤講師。講演・メディア出演多数。書籍出版